生活ノート

はじっこのナラティブ

平成三十年のおしまいに

今年はずっと妻と息子のことばかり考えていた。

毎年それはそうなんだけど、今年は自分のキャパシティの狭まりを自覚し開き直って、妻と息子と一緒にいかに笑顔で暮らせるかだけを考えることのできた、振り返ればたぶん楽しい一年だった。

 

自閉症の息子は数字の上では今年も一歳半のままだった。

言葉も出ては消失を繰り返し、怖いものだけは毎年増えていく。周囲の音が怖くなり、耳を押さえてうずくまる姿を見ることも増えた。

でも、検査の数字には表れないけれど、一つ一つのコミュニケーションの練度はものすごく上がった。声色で心情を表現することができるようになった。嬉しい「あー」と悲しい「あー」はまるっきり違うのだ。

笑顔もとても柔らかくなったし、僕が家に帰ってきたときの嬉しそうな仕草といったら!それだけで一日が報われる。

 

妻の笑顔を増やすために僕ができることってなんだろう。

そう考えて、妻を孤独にさせないように生きていくことだと思った。

一緒にいれば孤独じゃないのか。自己満足じゃないか。彼女の気持ちが分かるわけでもないのに。それはそうだけれども、そうだとしても。

 

息子は妻にべったりだ。視界にいないと半狂乱、トイレにまで泣きながらついていく。言葉が通じないこともしばしばで、泣き声は心に響く。

僕はだからできる限りずっとリビングにいて、息子に強引にくっついていく。ウザがられる。妻の好きそうな番組を録画しておく。動画をレンタルしてお気に入りに入れておく。妻の好きそうな話題を振ってみる。だいたい空回りでウザがられる。

病院にも施設にもついていく。車も運転できないくせに。

障害を持ち、障害を学んだ僕は、息子の、我が家のスポークスマンを自負していたけれど、いつのまにか妻の方が説明が上手になっていた。だから僕はただの財布で、ラジオで、たまにサンドバッグだ。話しかけることが的外れでかえって怒らせることもあるし、単純に怒られることもしょっちゅう。それでもいい。捌け口の一つにでもなれればいい。

 

そんな僕はといえば、 去年くらいから鬱治った鬱治ったと触れ回ってたら夏から抗うつ剤の種類が増えた。よく考えなくても抗うつ剤を三食寝る前必ず飲めよと言われながら治った治った言ってても治っているはずがなかった。うつヌケってなかなか難しい。

それでも、薬が増えたのをきっかけに酒を飲まなくなったら体調がよくなったのはとても嬉しいことだった。二日酔いを見越してのスケジュール調整も必要なくなった。

少し寂しい気持ちもあるけれど、抗うつ剤(と精神安定剤)と酒が同時に体の中にあることがもたらす状態がいかに恐ろしいか。二日酔いまで格段にひどくなるらしいよ。聞いたらもう飲む気はしなくなった。

 

毎日一緒にいるおかげで、ようやく息子にとって父はナンバーツーだと認めてもらえたようだ。妻が出かけるのを見ても、僕が隣にいるときには泣かなくなった。

妻に褒められることもこの一年ですごく増えた。僕のやってることはあながち的外ればかりでもないらしい。褒めて伸びるアラフォー。もっと褒めてほしい。

 

平成三十年がもうすぐ終わる。

息子は今年最後の夜に、「いっしょ…ねんねんね…」と言いながら眠った。ような気がした。

来年もまた、家族のことばかり考えていられる楽しい一年になりますように。