生活ノート

はじっこのナラティブ

ポッドキャストのあとがき

この春にポッドキャストを始めて、気がついたら10本作っていた。

きっかけは、友人のささきるがメディアヌップというポッドキャストを始めたこと。

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それが楽しそうだったのでちょっと自分でもやってみたくなって、共通の思い出をもつ友人が少しでも笑ってくれたらもうけもの。そんな感じだった。

 

あとは、単純にリハビリのつもりだった。

去年から精神安定剤睡眠薬に強いものが処方されるようになり、体のふらつきが強く、ただでさえ悪い滑舌がさらに悪く、というか、呂律が回らなくなった。

そんな今の自分が果たして台本なしでどれくらい喋れるものだろうか、という実験を兼ねたリハビリだった。

 

ところがやってみたら、思いのほか楽しかった。一つ目を作ったら、そのうちまた次のアイディアが浮かんできた。

録音編集環境がローファイなことを逆手にとって(言い訳にして)遠野の語り部の婆さまたちを模して、といったら失礼だけども、訥々とした語り口と訛り口調で自分のエピソードトークをしたら、呂律が回らなくともそれなりに面白いものができるかもしれない。

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僕は河童のペルソナを被り、現代民話と称してそんな試みを始めてみた。

当初の予定では拝み屋はただの導入のためのキャラクターだったし(といっても事実起きたことではあるんだけど)基本的には河童ごときが人間様に恋をしてしまって破れていく失恋譚と、民話とラッキースケベの融合みたいなことがやりたかっただけで始めたことだったんだけど、河童というペルソナがもっと話したかったことを掘り出してくれた。

家族のこと、妻とのこと、息子のこと。

 

ラッキースケベを強調したくて友人に依頼した扉絵にも背中を押された。

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この人に、僕が妻に惚れた瞬間の絵を描いてほしい!と思った。

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煙草を吸いたくて、今の妻である飲み友達に「火、ほしいな」と言ったら、自分の吸ってる煙草と僕のくわえた煙草の先っぽと先っぽをくっつけて、そのまま息を吹き込んで、火をつけてくれたとき。本当は沼の土手じゃなくて、飲み屋の隣同士の席だったんだけど。

この第四話の扉絵はすごい気に入ってて、自分のスマホの待ち受けにもしてるくらい。この絵を描いてもらって、すごい素敵な絵だからよけいに「河童の恋はこうして実りました。どんどはれ」では終わらせられないと思った。

 

そして、息子のことを、自分の築いた家族のことを、思考停止にならずに肯定的に自分の言葉で語りたいと試行錯誤した第五話。

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自分の思いを言語化していくうちに、思考のピースがカチッとハマった瞬間があって。「あ、今おれ鬱から抜けたわ」と思った。

だから図らずも、最終回は僕が鬱を発症して、そこから抜けるまでの心の動きをそのままパッケージしたものになった。

題名はささきるの作った曲から拝借した。他の子どもより歩みはものすごく遅くとも、繰り返し繰り返しで少しずつできることが増えていく我が子に、我が家に、これ以上ふさわしい言葉はないと思ったので。曲の内容も込みで。

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これで弾も尽きたかな、ポッドキャストも終わりかなと思ったけれど、それから大して経たないうちに心に新しい傷ができた。それから1週間後にポッドキャストを録っていた。

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ちなみにこの回は伊集院光深夜の馬鹿力で昔々やっていたコーナー「カブトムシの秘密」を下敷きにしています。気になった人は検索して聞いてみてね!

 

これからも新しい傷が増えるたびにポッドキャストやりたくなるんだろうなと、傷口を見せつけるようなあらゆる意味で痛い番組を作り続けていくんじゃないかなと思い、このたびmacを新調しました。だからもう最終回とか言わない。そのうちまたやる。たぶん。

こんな番組でも最終回というと寂しいと言ってくれる人や、「元気を出すために月曜の朝の出勤時に聞いてます」なんて奇特な嬉しいメッセージをくれた人もいました。この番組どよーんとしてるけどなあ。でもありがとうございます。

 

最後に番組のリストを貼ってこのひとまずのあとがきを締めたいと思います。

こうやって見てみると、ほんと人生のアーカイブになってる。

興味ある人はこちらからよろしければ!

沼の底からこんばんは • A podcast on Anchor