生活ノート

はじっこのナラティブ

3/17 不幸にしながら生きている

ネットからしばらく離れると言った舌の根も乾かず、思うままただ書く。

 

コロナ明け、体調がなかなか戻らないのと、肝臓の定期検査のため近くの内科に受診。

検査の結果、これまで異常がなかったγ-GTPが酒も飲まないのに前回検査の7倍、200超えしているのをはじめ、肝臓の数値が軒並み著しく悪くなっていた。

コロナの後遺症で肝障害が残る場合が低い確率ではあるがあり得るというのは、知識としては持っていたが、自分に降りかかる話とは思っていなかった。

タイミング的にその可能性が高いという話をされ、それが炎症なのか、器質的な損傷なのか、急性で収まるものなのか、慢性化するのか、来月肝臓の専門医が来て、精密検査を受けてからでないとわからないとのこと。

 

「低い確率ですが」という症例に我が家はよく当たる。自分の脳下垂体由来での不安障害も息子の折れ線型自閉症もそうだったし、妻の流産もそうだった。今回もなのか。

咳をしながら、寒気に震えながら、叫び出したい気持ちでいっぱいだった。

 

「生まれてくる子とその家が不幸になる。だから堕ろせ」と、僕が胎内にいるときに母が祖母と祖母が連れてきた拝み屋に言われた言葉だそうだ。

呪いというのは覿面に効果を発揮する。何か身内に悲しい出来事があると、嫌でも僕の脳裏に何度もこの言葉が蘇る。

僕がこの呪いの言葉を聞いたのは20歳のとき。両親の離婚が決定的になったあたりだと記憶している。「今まで我慢してきたけど、離婚するからあんたにも言っておく」と、母に打ち明けられた。

母としては、「あんたが住んでいた家は、家族は、こんなにひどい人たちだったんだよ」という共感を得たかったんだろうなと思う。自分がこれを言うことで僕がどう思うかまで思い至れるような精神状態ではなかっただろうし、今となってはもともと母はそういう人間ではなかったと思っている。

結果自分としては、両親双方から距離を置くきっかけとなった出来事になった。

 

もし、母から「間接的に」呪いをかけられなかったら、僕はもう少し自分を肯定的に思えただろうか。

自分に、家族に降りかかった悲しいことを、もう少しフラットに捉えて、前を向くことができていただろうか。

 

こんなになってしまった僕は、誰かの役に立てているのだろうか。妻がこれまでできていたこと、僕と一緒にいなければもっとできたはずのことを全て奪って僕はのうのうと生きている。

どこまでも無邪気な息子は、いとおしさと癒しと、社会的な絶望を内包したまま、僕に最大限の笑顔を向けてくれている。

奥歯にドリル心に花束

■歯並びが徳永英明の二倍くらい悪いせいで、他の歯に邪魔されて出てこれてない下の歯を抜いて、歯茎を縫った。今すごい痛い。

 

■買った。ゆっくり読む。

プリンス オフィシャルディスク・コンプリートガイド (星海社 e-SHINSHO) | KID | 音楽 | Kindleストア | Amazon

 

■最近ずっと寝ることを嫌がる息子。寝室を真っ暗にしてもベッドの上で飛んだり跳ねたりまたいだりを繰り返しているんだけども、「お父さん寝るよ!おやすみ、じゃあね」と言ったとたんにすごい勢いで布団に潜ってそのまま眠った。かわいかった。

この手はこれからも使えるかな?どうかな?

(妻は早起き係なので寝かしつけは僕の役目です)

6/19 雷雨のち晴れ

■うちの息子は痩せたら顔が整って、妻に似て息子史上今が一番イケメン。

冬の間はなんだかほにゃっとしてゆるキャラのようだったけど、今すごいかっこいいから見ていて楽しい。自慢くらいさせてくれ。

 

■hugo tt2にhugo m scalerをつないで、それにfocalのstelliaをbriseaudioの取り回し度外視の極太ケーブルを使って接続して、息子を寝かしつけた後にこっそりと極上の音楽体験をする(手の届く範囲で!)ようになって音楽を聴くようになって二年以上たったけど、子どもの頃から慣れ親しんだ曲たちが全然違う聞こえかたをして、未だに全然飽きない。基本的にシャッフルで鳴ったものを聴くようにしているせいもあるけど、汲めども汲めども尽きなくて、とても楽しい。

今日一番驚いたのは、スピッツの「空も飛べるはず」。

マサムネさんのボーカル、ここでこういうふうに鳴ってたんだ。こんな男っぽかったっけ。リバーブ少ないなあ、とか。こんなバンドサウンドしてたっけ。ギターギャンギャン言ってんなあとか。

もう世の中で流れすぎて一生聞かなくてもいいやと思ってたけど、すごい驚きがつまってた。

 

■アップルウォッチがなくなった。必需品ではないけどないとまあまあ困る。

昨日の夜7時に外したようなログになってたけど、自分で外した記憶はないので、息子とじゃれてるうちに外れてどこかに潜り込んだかな。

見つけた人には千円出します。

ポッドキャストのあとがき

この春にポッドキャストを始めて、気がついたら10本作っていた。

きっかけは、友人のささきるがメディアヌップというポッドキャストを始めたこと。

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それが楽しそうだったのでちょっと自分でもやってみたくなって、共通の思い出をもつ友人が少しでも笑ってくれたらもうけもの。そんな感じだった。

 

あとは、単純にリハビリのつもりだった。

去年から精神安定剤睡眠薬に強いものが処方されるようになり、体のふらつきが強く、ただでさえ悪い滑舌がさらに悪く、というか、呂律が回らなくなった。

そんな今の自分が果たして台本なしでどれくらい喋れるものだろうか、という実験を兼ねたリハビリだった。

 

ところがやってみたら、思いのほか楽しかった。一つ目を作ったら、そのうちまた次のアイディアが浮かんできた。

録音編集環境がローファイなことを逆手にとって(言い訳にして)遠野の語り部の婆さまたちを模して、といったら失礼だけども、訥々とした語り口と訛り口調で自分のエピソードトークをしたら、呂律が回らなくともそれなりに面白いものができるかもしれない。

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僕は河童のペルソナを被り、現代民話と称してそんな試みを始めてみた。

当初の予定では拝み屋はただの導入のためのキャラクターだったし(といっても事実起きたことではあるんだけど)基本的には河童ごときが人間様に恋をしてしまって破れていく失恋譚と、民話とラッキースケベの融合みたいなことがやりたかっただけで始めたことだったんだけど、河童というペルソナがもっと話したかったことを掘り出してくれた。

家族のこと、妻とのこと、息子のこと。

 

ラッキースケベを強調したくて友人に依頼した扉絵にも背中を押された。

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この人に、僕が妻に惚れた瞬間の絵を描いてほしい!と思った。

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煙草を吸いたくて、今の妻である飲み友達に「火、ほしいな」と言ったら、自分の吸ってる煙草と僕のくわえた煙草の先っぽと先っぽをくっつけて、そのまま息を吹き込んで、火をつけてくれたとき。本当は沼の土手じゃなくて、飲み屋の隣同士の席だったんだけど。

この第四話の扉絵はすごい気に入ってて、自分のスマホの待ち受けにもしてるくらい。この絵を描いてもらって、すごい素敵な絵だからよけいに「河童の恋はこうして実りました。どんどはれ」では終わらせられないと思った。

 

そして、息子のことを、自分の築いた家族のことを、思考停止にならずに肯定的に自分の言葉で語りたいと試行錯誤した第五話。

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自分の思いを言語化していくうちに、思考のピースがカチッとハマった瞬間があって。「あ、今おれ鬱から抜けたわ」と思った。

だから図らずも、最終回は僕が鬱を発症して、そこから抜けるまでの心の動きをそのままパッケージしたものになった。

題名はささきるの作った曲から拝借した。他の子どもより歩みはものすごく遅くとも、繰り返し繰り返しで少しずつできることが増えていく我が子に、我が家に、これ以上ふさわしい言葉はないと思ったので。曲の内容も込みで。

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これで弾も尽きたかな、ポッドキャストも終わりかなと思ったけれど、それから大して経たないうちに心に新しい傷ができた。それから1週間後にポッドキャストを録っていた。

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ちなみにこの回は伊集院光深夜の馬鹿力で昔々やっていたコーナー「カブトムシの秘密」を下敷きにしています。気になった人は検索して聞いてみてね!

 

これからも新しい傷が増えるたびにポッドキャストやりたくなるんだろうなと、傷口を見せつけるようなあらゆる意味で痛い番組を作り続けていくんじゃないかなと思い、このたびmacを新調しました。だからもう最終回とか言わない。そのうちまたやる。たぶん。

こんな番組でも最終回というと寂しいと言ってくれる人や、「元気を出すために月曜の朝の出勤時に聞いてます」なんて奇特な嬉しいメッセージをくれた人もいました。この番組どよーんとしてるけどなあ。でもありがとうございます。

 

最後に番組のリストを貼ってこのひとまずのあとがきを締めたいと思います。

こうやって見てみると、ほんと人生のアーカイブになってる。

興味ある人はこちらからよろしければ!

沼の底からこんばんは • A podcast on Anchor

あっかんべえ

君のニットの先端に 昨日買ったイッチョウラであっかんべえ

今日も 酸っぱい葡萄は無防備に実をつけてフェイダウェイ

君はなんだ 手を握ってどうするつもりだ

伝え聞いた桃源郷か すり抜けるくせに

 

足が長いですね 君が行く三歩先にあっかんべえ

よく笑う君と 錆び付いて暴走する第六感

夢を見る ひょっとしたらひょっとすればいいな

運命のドアを開けろ ただし 君が開けろ

 

「最後に急展開!このあとすぐ!!」

いつまで視聴者気取りだ

手を振る僕の馬鹿

 

急げ 今日が終わる

上滑る常套句にあっかんべえ

目を覚ませ この話は笑い話 そうさ

繰り返し君と笑うその日の前書き アーメン

 

作詞、曲 ヌマガッパ 

歌 だいえんだん

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デモですがデモのまま公開することを許してくれたボーカルの友人と、ジャケット絵を描いてくれた@mechikoに感謝。

 

そしてこの曲は今さらながら大好きな妻に捧げます。

テレパシーがほしい

自閉症の息子は最近とても不安定。なんか不思議な呼吸のしかたをする。

あさっての方向の一点を見つめて、限界まで息を吐いて、ヒーッという声というか音を立てて息を吸って、それを何度かしているうちにやがて火がついたように「こわい、こわい」と言いながら泣きじゃくる、というのを一日に何度も繰り返している。

一点を見つめだしたら止まらない。止めようとするとそれはそれで泣いてしまう。その視界の先に何かを見ているかのようだ。

 

どこか苦しいのか。痛いのか。寂しいのか。昔のいやなことを思い出しているのかもしれない。それともジャンプを繰り返しているのと同じで、何かの感覚を自分で刺激しようとしているのか。

 

言葉でコミュニケーションできないことがこんなにもどかしいと思ったのは久しぶりだ。なぜそんな呼吸をするのか、なぜ泣くのか、教えてほしい。

寝る前はとても機嫌がいいのと、寝ている時の顔が安らかなのが今はせめてもの救いだ。ゆっくりおやすみ。そして明日も一緒に遊ぼうね。

おまえはほほえむ

ピカピカキラキラしているからか、ライディーンテクノポリスのPVが好きなうちの息子。

一緒に昨日録画したYMO名盤ドキュメントを見ていたら、息子が笑顔で飛びはねながらラリラリとなにがしか声を出していて、それが矢野顕子の歌声に聞こえてきてことさら楽しい気分になった。

明日からは通常営業だ。がんばろ。


YMO - Kang Tong Boy (Budokan 1980)